少し前の話になりますが、徹夜でバレンタインのチョコを作り、
キッチンを派手に散らかしたまま学校へ行った
高1の長女の愚痴を実家の母に電話でこぼしていたところ、
母のそばにいた父の、
「親がなってないからなぁ。」
という言葉が耳に入り、えらくカチンときました。
その日は、1日心がざわざわ…。
あとで問いただしてみたところ、
「あなたも高校時代、徹夜でチョコを作ったりしてたでしょう?
お父さんも私もそれをふと思い出したのよ。」
と母がフォローしてくれたものの、なんとも晴れない気分。
この、「ざわざわ」の原因はなんだろう?と考えてみました。
確かに私は、「なってない」親かもしれません。
仕事が忙しすぎて子育ては半分放任だし、
家事も隙間時間で頑張ってはいるものの、できていないことだらけ。
「なってない」ことなんて、自分が一番よく分かっています。
しばらく考えていくうちに、私がカチンときた原因は、
「私が」なってないことではなく、
「親が」なってないと言われたからなのだということに
思い至りました。
「親が」なってないという発言は、
子どもの至らなさをすべて親(特に母親)に押しつける言葉です。
とても便利で、そしてとても危険な言葉です。
「親の顔が見てみたい」も同義語ですね。
同じ親であるはずのだんなからでさえ、
子供達が言うことを聞かないとき、
「母親、なんとかして。」と言われることがあるのですが、
そのとき感じる「ざわざわ」の正体も、
やはり母親である私に責任をすべて押しつけている、
という理不尽さなのだと分かりました。
なんでも母親のせいにすれば、周りは楽でしょう。
でも、子育てなんて、思い通りにいかないことの連続です。
思い通りにいかない子どもを前に、日々悩み、立ち止まり、
模索しながら精一杯頑張っているのです。
そこへ、「親がなってないからだ。」なんて言われたら、
もうどうしていいか分かりません。
お母さんたちも人間です。
なんでも「お母さんの仕事」と丸投げせず、
お母さんばかりに完璧を求めず、
関わるみんなで試行錯誤し、
関わるみんなで子育てしていける世の中になればと、
切に思います。
そしてそんな世の中に少しでも近づくように、
カチンときたお母さん代表として、
これからも発信していきます。